大きな変わり目と新日本プロレス
ここ数日、新日本プロレス界隈はベルト統一の話で持ち切りになっている。時代の変化を目の当たりにしている人の反応がたくさん見られるので人間観察好きの筆者としては面白い。
考えてみればこれまでにも大きな変化を新日本プロレスはしてきた、個人的には中邑選手が総合格闘技とプロレスの二足の草鞋で突き進み、独自の世界観を開花させたこと。
棚橋選手がチャラ男キャラをひっさげストロングスタイルの呪いと戦ったことの二つが大きな変化だったのではないかと思う。この二人がすごいのは理不尽ともいえる状況においても折れることなく自分の芯を見失わなかったことだ。
中邑選手の場合
正直誰よりも苦労したのではないかと思う。総合格闘技の素養があるとはいえ当時隆盛を極めた総合格闘技の試合に駆り出され新日本がプロレスをしなくなった(総合格闘技色を打ち出し始めた)頃に23歳の若さで団体内最高峰のベルトを獲得。
自伝や当時を振り返る書籍を読んだところほとんど味方がいない状況だったようだ。若手からは妬まれ、先輩からも先を越されたと恨まれた。ファンからは総合とプロレスどっちがしたいのかなどとののしられる。
そういった苦労をしながらもめげることなく邁進した中邑選手は代名詞ともいえるクネクネとしたスタイルを獲得。今でこそ大人気のクネクネスタイルは当初受け入れられなかったという。それでも続けることで多くの人の心をつかみ、「左遷」と評されたインターコンチネンタルベルト戦線で自分の世界観を爆発させた。
2016年にWWEに移籍してなおファンの心に刻まれた中邑選手の姿は薄れることはない。
棚橋選手の場合
間違いなく現在の新日本の礎であり、栄光の立役者である。棚橋選手は世間が格闘技ブームに沸く中であってもプロレスをやめなかった。
中邑選手が与えられた試練を乗り越えていったタイプとすれば、棚橋選手は自分で問題を探しだして改革を起こしていくタイプであった。
ゴールデンタイムでプロレスの試合が組まれていた頃と低迷した時期では選手の知名度に開きがあると気づき、積極的にプロモーションを行い「殿様商売」からの脱却を図る。
キャラクター性を選手に付加することでキャッチ―さを獲得しようとする。
ストロングスタイルという言葉は呪いだと言い切り、道場にかかっているアントニオ猪木氏の写真を外すよう提言したりと枚挙にいとまがない。
それでも彼の姿勢に賛成してもらうには時間がかかった。本人が話すところによると4年はブーイングをされ、ファンから受け入れられなかったという。
棚橋選手の恐ろしいところは「マンネリ」ともいわれかねないレベルで物事を継続すること。「愛してます」の絶叫、仮面ライダー風のいでたち、百年に一度の逸材というキャッチフレーズ、すべて最初は滑りっていたと本人も語る。でも受け入れさせてきたうえでついには新日本プロレスという大きな団体を破壊して再生するところまでもっていった。
もう誰も彼の姿勢を否定することなんてない、自身の行った改革が間違っていなかったことを証明した。
さて、ここからが本題
中邑選手と棚橋選手に言及したのはスタイルこそ違えど
「逆境にめげず状況をひっくり返した」
という点では双方一致しているのだ。
個人的にこの記事で伝えたいのは飯伏選手へのエールだ。
新しいことをすると大きな反発を招くのは必然だが現代においてはSNSというツールがある。コメント機能で気軽に有名人に接触できる一方、心無い意見も直接届いてしまうのだ。届かなくても可視化されてしまう。
棚橋選手が言うように、二冠統一に否定的な意見が9割というのは間違いないだろう。
でもひっくり返せるんだ、それは先人たちが証明している。
そして不安や不満を吹き飛ばした後には新しい世界が待っている。
個人的にはその新しい世界が見てみたい。
だから負けないでほしい、筆者は飯伏選手が言う「逃げない、負けない、諦めない、そして裏切らない」という言葉が大好きだ。その言葉が本当の意味で実現される日を心待ちにしている。