石井智宏 VS SANADAはターニングポイントになり得るか
3.9岡山ジップアリーナで行われる興行のメインイベントは石井智宏選手とSANADA選手によるNJCトーナメント一回戦だ。
熱戦続きのNJC2021、一回戦屈指の注目カードは単純な勝敗のみならず選手同士がぶつかることで起こる化学反応が期待できそうで非常に楽しみだ。
この二人には共通項がある。
- 寡黙なスタイル
- いわゆる大関格
- さまざまな団体を渡り歩いてきた
といったものだ。
こうやって見ると備わっている特徴やストーリーは似通っており、似た者同士がぶつかり合うだけに思えてくるが筆者はSANADA選手に現状足りていないものを石井選手は持っていると思うのだ。
それは言語化しようのない「見る者の心を動かす」術だ。
現状、観客の心に訴えかける力を十全に発揮しているのが石井選手、苦手としているのがSANADA選手というのが筆者の印象である。
この心を揺さぶる何かを伝えるノウハウはない、リングの上でぶつかってお互いの全てをぶつけあって初めて獲得していくものだ。
その好例がある、昨年のBOSJ27を通して一気にジュニア戦線のトップへ躍り出たエルデスペラード選手だ。
彼はNJC2020での石井智宏戦を通して自分のファイトスタイルに「闘い」の色が一段とついたことがターニングポイントの一つだと振り返っていた。
大躍進の要因は元来から持つ華やかさとエレガントさに闘志や感情が乗っかったことだと筆者は考えている。
筆者はその化学反応のようなものが石井選手とSANADA選手の一戦で起こることを願っている。
天性のものをSANADAは持つ
残酷な話をしよう、石井選手は天性のものを持つレスラーではない。
体格に恵まれているわけでもない、いわゆる華があるタイプでもない。レスラーに必要な先天性のものは持っていなかったと言ってもいいだろう。
それでも彼が武器とする脅威的な頑丈さと折れない精神は見る者の心を打つ。
成長することで手に入れられるものを最大限伸ばしてここまで上り詰めてきたのが石井選手の恐ろしい所である。
反対にSANADA選手は筆者の主観だがスター性に溢れており骨格にも恵まれている。プロレスラーを目指す者ならこぞって手に入れたい要素を彼は獲得している。
そして成長の余地も。
石井智宏選手は現在45歳、選手生命の長いプロレス界では定義が難しいがベテランの域に入ってきたと言えるだろう。
一方のSANADA選手は33歳で今まさにピークを迎えようとしている。
その状態でこの二人は同列にいると筆者は考えている。
二人ともトップ層にあと一歩で食い込むといった位置といったところだろうか。
成長の余地がたっぷりあるSANADA選手は何かのきっかけがあればすぐにでも最強格に変貌する可能性がある。
そのきっかけを与えられるのは石井選手だと個人的には思えてならないのだ。
決してSANADA選手に試合中、感情がわかりやすいように吠えてもらったり、バチバチの試合スタイルに変わってほしいというわけではない。
まさにエルデスペラード選手がそうしたように石井智宏選手の持つ闘いのエッセンスを試合を通して自身に加えてほしいのである。
美しく、清潔
美しすぎる、それが個人的なSANADA選手への印象である。
過度に対戦相手を煽ることはなく、ラフな試合に持ち込むわけでもない。
ベルトにものすごい執念を見せるわけでもなく自身の道を究めていく求道者のようにも見える。
とても露悪的な言い方をすればスカしているように映ってしまいがちなのだ。
トップに立つには自分をさらけ出し、心の隅まで絞り出すことが必要である。
時には信条やプライドを捨てることになってもである。
広島で行われた飯伏選手との一戦。SANADA選手が掟破りであるコーナーへのやり投げをした時、この戦いに勝つために「頭から落とすだけがプロレスではない」というSANADA選手の心情を曲げてまで闘いに勝とうという欲が見られた。
ほとんどの人間は何かしらの欲を持っている。汚れていない人間などいないだろう。その自身を投影するにはSANADA選手は少々清潔すぎるのではないか。
そんな思いを確信にさせるものがやり投げを敢行したSANADA選手の姿にあった。
あの瞬間グッと心が動いたのをいまだに覚えている。
意地でも勝ちたいというSANADA選手の思いがあの瞬間、可視化されて心の深い場所まで訴えてきた。
この感覚が頻繁に起こせるようになってしまえばSANADA選手に死角はない。
そして何としても勝ちたい、相手を上回りたいといった感情を行動で伝えてくるのが石井選手である。
ミニマリズムにハマっていると語るSANADA選手が「闘い」や「感情」の項目にときめきを感じてくれることが一ファンとしての悲願である。